ほてりに関する考察

僕には、手や顔、首のあたりが猛烈にほてってしまう時期がある。
ちょうと今がその時期だ。

体感的にはとにかく暑い。
職場など暖房が効いている部屋にいると、全裸で外に飛び出したくなる。
辛いときは冷たいペットボトルを買って、握ったり、首や頬に当てたりしてその場をしのいでいる。

ほてっている時、たいていお腹は冷えている。
普通に生活していてもまったく気がつかないが、
お腹を触ると、確かにひんやりしている。
冷えており、かつ冷えていることに気づかない状態なのだ。

お腹にカイロを貼ったり、
温かい飲み物を飲んだりすると、
ほてりもマシになるような気がする。

手や顔のほてりとお腹の冷えは連動しているのかもしれない。

「ほてり」や「冷え」で検索すると、多くヒットするのは女性の健康に関する記事だ。
なるほど、「ほてり」や「冷え」は女性が多く抱える問題なのか。
自分は例外的な男性なのだろうか。

そうではない、という仮説を考えてみたい。

一般的に男性のほうが女性よりも暑がりであると言われている。
職場を見渡しても、暖房の効いた部屋で、男性は腕まくりをし、女性はカーディガンをはおっている光景をよく見る。

このことを「多くの男性は、お腹が冷えていながら、それに気づかず、ほてっている」とは考えられないだろうか。

最近「男の食事は、昼はラーメン、夜は鳥貴族だ」というツイートがバズっている(ツイート自体の趣旨やバズっている経緯はここでは触れない)。

僕はラーメンが大好きだ。
味そのものも好きだが、こってり系のラーメンを食べたあとの、お腹がずっしりと重くなる感じも、それはそれでマゾヒスティックに好きなのだ。

お腹が重たくなっているときは特に、お腹がひんやりしている。消化の関係でそうなるのだろうか。仕組みはわからないが、体感的に、満腹時のお腹は冷えている。

ラーメンや焼き鳥など、お腹にずっしりくるメニューをマゾヒスティックに愛し、そうでない食事を滅多にしない人は、慢性的にお腹を冷やしているのではないだろうか。

そうした食習慣が男性に多いのだとすれば、いわゆる「暑がり」も、食習慣との関連によって、慢性的にほてっているような身体のあり方を形成している、ということなのかもしれない。

以上、医学的根拠のまったくない雑な仮説を述べてみた。

あくまで「自分がそうだから、他の人(男性)もそうなのでは?」という勝手な想像である。
体質や体感は個人差が大きい。たまたま僕がほてりやすい体質なだけかもしれない。

水煮先生の創作星占いレポート

はじめに

 水煮先生占星術鑑定を受けてきました。

 水煮先生は、占星術を用いて、おもに漫画などを描いている方の創作に関する鑑定をしてくださる、ツイッターで人気の占い師さんです。

 鑑定を受けた方がレポ漫画ツイッターにアップしているので、関心のある方は水煮先生のツイッターアカウントやブログをご覧ください。

 

水煮先生のツイッターアカウント

https://mobile.twitter.com/mizuni_can

 

水煮先生のホームページ「ホシカン」

http://hoshican.jp


 いつも予約は秒殺で埋まってしまうので、私も予約がオープンされる日に、一日中スマートフォンにはりつき……ようやく予約をとることがてきました。

 事前に、過去に描いた作品数点を郵送して読んでいただき、当日に臨みました。

 

創作における悩み

 私は、漫画などのデフォルメされた絵を描く際に、自分の絵に「男性の匂い」が漏れ出てしまうことを、ものすごく嫌悪しています。

 なんでしょうね……「いい子ぶっている感じ」というか「わざとらしさ」というか、ふつう「男性性」って、そういう意味では使わないのかもしれませんが、自分にとってはそれが「男性特有のズルさ」みたいに感じられて、絵を描くのが嫌になってしまうんですよね。

 で、水煮先生が仰るには、私の天体配置は「言語からこぼれ落ちてしまうもの」の領域に星が集まっているのだそうです。

 だから「男性の匂い」のような、言語化が難しい感覚にものすごくこだわってしまうのではないか、とのことでした。

 また、「わたしとあなたの間にあるもの」、あるいは「自分にないもの」に意識が向かっているとのこと。そしてセクシュアリティの配置でもあるとのことでした。

 たしかに私はつねづね、女性的な考え方をしたいと願ったり、女性的な表現物に憧れたり、「自分にないもの」を求めているところがあります。セクシュアリティというのも、自分の関心にズバリ当てはまるなぁ……と思いました。

 また日常において悩んでいることを思い出してみても、たしかに、自己と他者の間にあり、言語化できないものについて悩んでいることが多いような気がします。

 

表現のスタイル

 私の表現スタイルは「きれいなジャイアンなのだそうです。

 つまりジャイアンリサイタルのように、表現される内容が混沌としたものであっても、それを他人にきちんと聴いてもらうための場をセッティングしようとする(たとえばコンサートホールを用意するなど)性質がある……だから「きれいなジャイアン」というわけです。

 そうそう、「きれいなジャイアン」というおもしろい表現が飛び出しましたが、水煮先生は、パワーワードをぶち込んでくださることで有名な占い師さんなのです。

 私も事前に相談内容をメールで伝える際にパワーワードが欲しい」と書いてしまいました。水煮先生もそれを汲みとってくださり、当日は期待以上のパワーワードの嵐でした(笑)

 話を戻すと、自己顕示欲を剥き出しにするのではなく、あくまで客観性や社会性に則り、いいねやリツイートで自分の価値を量りながら(このあたりは天秤座の特質のようです)、ポエムや演歌(恨み節)のような感情を表現するのが私のスタイルのようです。

 また予言のような性質があり、人々の願いが自分のなかに流れ込んできて、それを自分のなかに留めておけずに表現せざるをえない場合があるとか……。

 これについては自覚はありませんが、なんかカッコイイですね、予言。

 

 他にも以下のようなアドバイスをいただきました。

・(絵本と漫画、どちらが向いていますか?という質問に対して)言語と非言語を両方表現できるジャンルであれば、どちらでもよい。

・泡のように湧いては消えてゆくものや、形のないもの、かつて形があったが今は失われたものなどを(追いかけるほどの主体性はなく)感知し、それを表現する。そうすることで人を幸せにしたい。

・理想的なイメージの海(自他の境界が崩れ落ちていく海)を、客観性、社交性を駆使して発表するスタイル。

・人間のヌチャッとした部分に多様性を見る。

・自分vs世界ではなく、自分のなかの葛藤、個人のなかの世界に注目する。個人にピントを合わせつつ、そのなかに多様性を見る。

・男と女、陰と陽の境界線上で暴れる。

・演歌=腹の底で煮込んだものが消化されて口から出てくる。

・ただし出し方にこだわりがあるため、もだえがち。心に負荷がかかりがち。

・漫画のようなシンボリックな表現をしつつも、サビは演歌になる。

・たとえるならブリキの人形によるドロドロ愛憎劇

アンドロイドだけど心臓はナマ。

・動作や肉体、物理的なリアリティへの関心は薄い。精神とコミュニケーションにステータス全フリ。

・さわやかな海ではなく、死骸が循環している海の美しさ……つまり清濁併せ呑んだ美を追求するのがよい。

自他境界をとりはらうものとしての性行為ポルノもいいかも

・性的なものなど、表に出してはいけないものを抉り出す。安易に納得せず、本質に切り込んでいく。深くてヤバいものを探求する。

コントラストをはっきりさせつつも、その境界線はグラデーションになっている。そのグラデーションに注目する。

・線による境界ではなく、絵の具を厚塗りして光と闇を分けたうえでの、グラデーション的な境界。

客観と主観の対立。対象に入れ込みつつ、それを客観視している自分がいる。

戦争と平和博愛と偏愛(みんなちがってみんないい、でもアイツだけはキライ……)など、相反するものを抱えている。

キレイゴトも得意

・みんなにとって有益なことをシェアしようとする。みんなが言いにくいことを言おうとしたりする。「炎上覚悟で言います」と言って、だいたいは炎上しないやつ(笑)

・クリーンでドライな表現をしても、つい生臭くなってしまうちょっと内臓出ちゃう……。

・生臭いものを追求するほうが、かえってキレイなものが作れる

 

 う~ん、やっぱり私は、自分の生臭さからは逃れられないのであり、それに蓋をしようとすれば、かえって生臭さを噴出させてしまうのだろうと思いました。

 今後も自分の生臭さと向き合いつつ、あわよくば何か美しいものを生み出せたらいいなぁと思います。


人生のテーマ

 私の人生のテーマは、一言でいうと理想主義

 みんなが平和に暮らせる世界を目指すものの、その動機となるものはすべてと一体化したい欲望であり、よくSF作品に登場する個を考慮しないマザーコンピューターのように、ともすれば「みんなが幸せになれないなら、みんな死ねばいい」というような極端な答えを導いてしまうこともあるとか。

 これにはめちゃくちゃ身に覚えがあります。私は、優しい両親のもとで生まれ育ち、心のなかに確固たる「甘えワールド」を持っていると自負しています。

 ただし世の中には、私のように甘えを許されて生きてきた人ばかりではありません。そういう現実に思いを馳せると、こんな世界は滅んでしまえばいいのにな……と思ってしまうことがあります。というより、根本的にそう思っています。

 

未来について

 昨年(一昨年?)から今年1月くらいまで、価値観がめちゃくちゃに崩壊したり、人によっては死と再生を体験するようなフェーズにあったとのこと。

 私の場合はそこまで大袈裟ではなかったようですが、たしかにちょっと荒れていた自覚があります……。

 人間、沈むところまで沈めば、あとは底を蹴って浮上するフェーズへと移行するわけですが、私の場合、これで苦悩の時期を抜けきったかというと実はそうでもなく、このあとも運命は、くりかえし私を溺れさせようとしてくるようです。

 今年いっぱいのエネルギーの使い方としては環境に急かされてお尻に火がつくようなものになる一方、「これまで気づかないようにしてきたものに気づき、諦める」という天体配置も到来しているようです。

 どうあがいても死んでしまう状況で、諦めて力を抜くことが、かえって生存率を高めてくれることもあります。

 今は離岸流に乗って流される時期であり、大きな判断や決断をすべき時期ではないようです。

 私には嵐のなかを強行突破するパワーはない(先手必勝を狙うような直観的な行動は苦手)ので、せめてGPSを壊されないように、むしろ持ち前の分析力を活かして情報収集をしたほうがよいとのアドバイスをいただきました。

 

おわりに

 というわけで、パワーワード満載の、とっても楽しい時間を過ごすことができました。

 ここまで、占っていただいた内容をブログの文章として綴ってきました。自分の書いた文章を読み返してみると、とても奇妙な印象を受けます。自分のことを語っているにもかかわらず「私は~なのだそうです」とか「私は~とのことです」とか、他人から伝聞したこととして語っているからです。

 自分のことを自分で語るのではなく、他人に語ってもらう(かつ、それを文章や漫画というかたちで再出力する)という体験そのものが、日常生活では得がたい、甘美な体験なのではないかと思います。

 ツイッターで水煮先生の鑑定を受けた方々のレポートを読んで、ずっと水煮先生に占っていただくことを夢見ていました。

 鑑定を受けることができて、もう私のツイッター人生に悔いはありません!!

 水煮先生、ありがとうございました!!